バレエとチャイコフスキー
こんにちは。
やまぐちスポーツ整骨院です。
いよいよ暑かった夏も終わりをむかえようとしています。
少しずつ朝晩は涼しくなってきましたね。
週末は台風の影響が心配ですが、どうか大きな被害が出ないことを祈るばかりです。
さて、今年の夏もたくさんの舞台が開催されましたが、みなさまは劇場に足を運ばれましたか?
バレエ鑑賞といえば、バレエを観るのはもちろんですが、音楽の素晴らしさを感じる良い機会だとも思います。
バレエは音楽があってこそです。
さらにその舞台がオーケストラの音楽での舞台だと格別ですよね。
日々のクラスレッスンでも、CDでおこなわれるのと、ピアニストさんによる演奏によって行われるのとでは、やはり違います。
芸術というのは、やはり生で感じることの大切さを感じます。
さて、みなさまは〈三代バレエ〉をご存知ですか?
『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』がいわゆる〈三代バレエ〉とよばれるものです。これらの演目で使われている音楽は、バレエを見たことのない方でも、きっと一度は耳にしたことがあると思います。
そしてこの〈三代バレエ〉の作曲家が、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーです。
まさにバレエの歴史を大きく転換させることになった存在です。
本日はそのチャイコフスキーについて触れていきたいと思います。
誕生
本日はチャイコフスキーはロシアを代表とする音楽家で、1840年ロシアの自然の美しい鉱山街ヴォトキンクスに生まれました。5歳のときに、ピアノを始めますが、すぐに上達し、この頃から才能を示していたようです。
しかし両親はチャイコフスキーを音楽家にする意思はなく、ペテルブルグの法律学校へと進学します。チャイコフスキーはこの地で初めてオペラを観劇し、その世界に魅了されます。またこのとき同時に、熱心なバレエファンとなったのです。
音楽の世界へ
学校を卒業後、チャイコフスキーは法務省で文官として勤めますが、大きな熱意はなく、一方で音楽に対する情熱は日に日に増していきます。
21歳のとき、いよいよその情熱がチャイコフスキーを大きく動かしました。ペテルブルグ音楽院の存在を知り、その翌年から音楽院で学び始めます。
音楽院卒業後は教師を務めながら、オペラの作曲などを手がけていき、徐々にバレエとの関わりをもっていきます。
白鳥の湖
創作活動や教師として忙しく過ごすチャイコフスキーに、モスクワの帝室ボリショイ劇場から『白鳥の湖』の作曲依頼がありました。
チャイコフスキーが35歳のときです。
チャイコフスキーは過去のバレエ音楽を研究し、振付家とも話し合いながらこの『白鳥の湖』を完成させました。
しかし1877年ボリショイ劇場で初演された『白鳥の湖』は、主役の解任やダンサーたちの実力不足も相まって、失敗に終わったというのが通説とされています。
チャイコフスキーは、もう二度とバレエ音楽はかかないと決めてしまいます。
眠れる森の美女
その後もチャイコフスキーは、ピアノ協奏曲やスペイン曲ラロなどさまざまな大作を生み出します。教師を辞め、パリやフィレンツェなどヨーロッパ中を旅しながら作曲活動に専念するチャイコフスキーでしたが、1886年にマリインスキー劇場から新作バレエの依頼がきました。
しかしなかなか事は進まず、1888年になってようやく『眠れる森の美女』の話がもちかけられ、台本を読んで快諾したチャイコフスキーは、翌年に全曲を完成させました。
1890年マリインスキー劇場において初演をむかえます。振付けはマリウス・プティパ、また舞台芸術や衣裳などの制作費には膨大な予算がつぎ込まれ、帝室劇場では最も費用がかかった公演だともいわれています。
そんな豪華絢爛たる『眠れる森の美女』は観客からの支持をうけ成功を収め、今や世界中で上演されています。
くるみ割り人形
この作品はクリスマスに上演されることが多く、その時期になると街中で聴く機会もあります。
この『くるみ割り人形』もチャイコフスキーが手掛けたものです。
『眠れる森の美女』で大成功を収めたマリインスキー劇場は、ふたたびチャイコフスキーに依頼します。
チャイコフスキーは最初この題材にあまり乗り気ではなく、また外国でも演奏活動もピークに達していてたため、その合間を縫っての作曲でした。それでも1891年に作曲に着手し、1892年には完成させたというからさすがです。
初演は、1892年マリインスキー劇場において一幕もののオペラ『イオランタ』とともに上演されました。振付けはプティパが担当する予定でしたが、稽古途中にプティパが病に倒れ、部下であったレフ・イワノフが代行しました。
ストーリーや主役の見せ場が少ないことなど、作品に対しては賛否両論がありましたが、その後さまざまな改訂がなされ、現在はクリスマスの風物詩として世界中で上演されています。
突然の死
その後もバレエ以外にもさまざまな作曲を手掛け、1893年に急死します。
死因には諸説がありますが、現在はコレラ感染によるものとされています。53歳という若さでした。
総合芸術
バレエは総合芸術であり、音楽、振付け、ダンサー、舞台装飾などそれらのうちどれかひとつが駄目だとすべてが崩れてしまいます。
チャイコフスキーは『眠れる森の美女』で始めて共同作業を行いましたが、プティパの詳細な指示書のもと音楽をつくっていったというように、音楽家と振付家、そしてダンサーと振付家、音楽家と、さまざまに交差して完成されていく芸術なのです。
それらが完全に融合したとき、その芸術は観客の心を惹きつけて感動を呼ぶものとなります。
もちろんクラシック音楽自体素晴らしく、人々の感情を動かすものですので、CDや媒体を通して聴くことでも豊かになることはできますが、やはり生という形でそれぞれの分野が重なりあったとき、それは本来の魅力を発揮するように思います。
日本ではまだオーケストラ演奏での公演は、限られたものであったり、またチケット代の観点からみても、そう気軽に観に行けるようなものではないかもしれません。
しかし、バレエを習っている小さい子たちや、またバレエを見たことのない方々にとっても、それは貴重な経験となることは間違いないと思います。
そしてまた普段自分自身が踊るとき、音楽にいつもより少し耳を傾けることで違った発見がありかもしれませんね。
音楽を聞いて!
音に合わせて!
と注意を受けたことのある方も多いのではないでしょうか。
少し冷静になって聴くことで、踊りのイメージが変わるかもしれません。
もちろん作品の時代背景を調べたりすることも良いことだと思います。
いろいろな楽しみ方のあるバレエの魅力を、もっとたくさんの方に知っていただけるよう、これからも少しずつご紹介させていただきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
バレエ整体ならやまぐち整骨院グループへ
やまぐち整骨院東大阪弥刀院:近鉄線弥刀駅徒歩5分
やまぐち整骨院谷町四丁目院:谷町四丁目駅4番出口徒歩1分
やまぐちスポーツ整体院:谷町四丁目駅4番出口徒歩1分(谷町四丁目院同じビルの4階
全院、微弱電流機器「アキュスコープ」「マイオパルス」ハイトーン機器「ハイチャージ」を完備。
微弱電流機器は我々が触診では確認できない体内の電気信号を機器自体が読み取り、正しい電気信号に書き換えることで身体本来の治癒力を引き出すことが出来ます。
ハイトーン機器は我々が活動するためのエネルギーを生成している「ミトコンドリア」を活性することで、内臓疲労・筋肉疲労・冷えなどを含めた体に起きうるあらゆるストレスに効果が期待できます。
これらの機器を使用することでストレスのたまりにくい身体づくり、予防も可能となります。
更に必要に応じてスポーツストレッチ、運動療法、トレーニングなど機能改善の施術も行っております。
日頃のメンテナンスとしてもご利用ください。
症状によって来院回数、期間は異なりますので、お気軽にお問い合わせ下さいね。
───────────────────────────────────
やまぐち整骨院では数あるスポーツの中でも特に「バレエダンサー」のサポートに力を入れています。
当院のバレエ整体(スポーツ整体)の特徴は、
①あなたのお悩みに合ったオーダーメイドの施術プラン
②身体の仕組みをわかりやすく解説
③触診ではわからない体の問題点を最新の機器を用いて明らかにし根本的解決
ぜひやまぐち整骨院グループにお越しください。
バレエ整体を詳しく知るにはこちら